外山滋比古の仕事
 
「思考の整理学」でおなじみの外山先生の仕事をのぞき見します
 


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筋の通し方は算数に学べ 外山滋比古2

国語の時間に読む文章があまりに文学的。
わかったような気持ちになりさえすればいいとこどもが考えるのも無理はない。
国語の勉強で論理のことを教わるのは例外的である。
小学生だけではなく大人でも文科系の人はたいてい数学ぎらいである。
国語の責任は大きいといわなくてはならない。

先日、ある数学者に会ってこの問題を話題にしたら、その人がこんなことを言った。
論理のしっかりとした文章を読む訓練を受けた小学生のグループはとくに何もしないのに、
算数がよくできるようになっていた。
国語と算数は相関関係がある、というのである。

筋のよく通った文章をもっと読まなくてはいけない。
書くのもそういう文章を心がけたいものだ。

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10月9日(土)19:56 | トラックバック(0) | コメント(4) | 趣味 | 管理

筋の通し方は算数に学べ 外山滋比古

「うちの子は国語はできるのですか、算数がさっぱりで困っています」。
お母さんがそう言った。口では困ると言いながら、それほどでもなさそうである。
国語と算数は仲が良くないからしかたがない。
片方ができるのだから、まあよい。そんな気持ちが感じられた。
なぜ、国語ができるのに算数がいけないのか、と考えないのがおもしろかった。

ことばも数学も論理を大切にする点では変わりがない。
国語が得意なら数学も好きなはず。
そうでないとすれば、どちらかがおかしいからに違いない。

どちらかと言えば国語がおかしいのである

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10月3日(日)06:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

うまく書こうとするからヘタになる2

お父さんに見せると、正月だからこれではまずい。2,3人たこをあげていたと改めるように言われた。
どうしてウソを書くのかと思ったが、こわくて、ききかえせず、言われるようにした、という。
お父さんは国文学者として命名の高かった人だ。

あったこと、思ったことをそのまま書く。子供にはそれができる。
許される。大きくなるにつれて、読む人を気にするようになる。
それで文章が書きづらい。
さきの父子のはなしは、こどもが相手かまわず書いたのを、父親がよそ行きにはありのままではなく、
すこしきれいにしなさいと教えたのである。
こういう教育がいいのか、悪いのか、にわかには決められない。

相手を考えるのはいいが、うまいと思われようとするのがよろしくない。

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9月27日(月)07:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

うまく書こうとするからヘタになる

小学生のときには作文が好きで、のびのびと文章を書いていたのが、高校生になると、
作文が苦手になり、ちょっとした文章にも手こずる。
そういう例がたいへん多い。
どうして年とともに上達しないで、退行するのか。よく不思議がられる。
これはどうも、思ったことが書けるかどうかにかかわりがあるらしい。
高校生は小学生のように天真らんまんにはなれない。

ある人が幼かったときのことである。
正月、お父さんからおじさんへはがきを出すように命じられた。
ハラッパヘイッテ、タコアゲヲシマシタガ、ホカニハダレモイマセンデシタと書いた。

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9月27日(月)06:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

人に好かれる“にぎり飯文体” (思ったことを思い通りに書く技術より) 2

欧米のことば、文章にはどちらかというと、▽型が多い。われわれがうっかりして△型の頭で読むと
主客転倒させた受け取り方をしかねない。翻訳書にイントロダクション(序論)があったら、
心をこめて読まなくてはいけない。しばしばその本のもっとも重要なことが出ている。
日本の本のはしがきなどとは類を異にする。
(欧米の場合)

しかし、▽型はなにも外国の文章に限ったことはない。毎日読む新聞の記事が典型的な▽構造になっている。
はじめほど大きな意味をもつ文章である。たえずそれに触れていながら、▽型のことば、文章になかなか親しみが
わかない。不思議だ。
(日本人は▽型に慣れていなようだ)

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9月17日(金)04:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理

人に好かれる“にぎり飯文体” (思ったことを思い通りに書く技術より)

大事なことから書いていき、あとになるにつれてこまかいことにおよぶ。
そういう書き方がある。▽逆三角型である。それとは逆に、はじめは本題に入ることをさけ、
マクラをふるようなことをし、だんだん本論に入り、もっとも重要なことは終わりの部分へ
くるという書き方もある。はじめちょろちょろの△型である。
(▽型の文章と△型の文章の説明)

日本人ははっきり自覚しているわけではないが、△型が好きなようである。実際にもそういう表現が多い。
それで話をきいても、文章を読んでも、肝心なことは終わりの方に出てくるように思っている。
自然、はじめの部分に対する注意がおろそかになる。落語を聴いているのならそれでもよい(例え)が、▽型の文章を
読む場合、冒頭の要点を見落とすおそれがある。
(日本人の場合)

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9月13日(月)06:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味 | 管理


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